ローラとわたし

友人に「来週キンキーブーツ行かない?」と訊かれた。それがきっかけだった。

 有名タイトルなので元々興味はあったし、実際とても良い舞台だった(2019年に出すにはちょっとどうなの、みたいな部分もあったけど)。今回は作品全体ではなくローラと私自身に絞って、書く。

 

 

ローラ。ローラについて、キンキーブーツについての記憶は、あるオフィス街の景色と結びついている。

その日は午後から面接があった。最寄り駅から企業まではちょっと歩くようだったので、早めに着くようにしてルートの下見をした。案外迷わなかったので想定よりだいぶ時間が余ったが、よく知らない街、しかもオフィス街で、就活中だからそのへんのなんかよくわからん洒落たカフェに入るお金と気持ちの余裕もない。だから適当な時間になるまで私は企業から駅までの道を延々と折り返し歩き続けていた。そのとき聞いていた中でよく覚えているのが、キンキーブーツの「Raise you up」だった。

 

キンキーブーツは二階席で観た。二階席でよかったと本当に思っている。物語のラスト、ローラが現れた時点でものすごく胸がいっぱいで、万が一「Raise you up」を歌うエンジェルズが私のそばに来ようもんならひざまずいていた可能性がまあまあある。ローラという人物を通して体現されるメッセージがあまりにも力強く、まぶしかった。私は二階席で拍手をしながら、舞台に立つローラの足元にすがりつく自分を見た。

 

パンフレットがいま手元にないのでうろ覚えで喋る。ローラは異性装者をするがゆえに周囲の差別や偏見で作中時間だけでも何度も傷つけられてきた。自分はパパの望むような息子にはなれない、という共通点を見出し、チャーリーと心を通わせる(「Not my Father's Son」)。だからそれゆえに、物語後半でのチャーリーの裏切りにはよりいっそう傷ついたんじゃないかと想像する。

チャーリーが謝罪の電話をかけた際に、きみは他のどんな男よりも男らしいみたいな台詞があった。あの台詞を聞いたとき、私は呆然とした。それは断絶の台詞だと思った。チャーリーとローラはほんとうの意味でお互いをわかり合うことなんかできない。いやまあ、この世に生きる誰もがそうだと言われればそうなんだけど。でも、なにもかもが異なるふたりの人間が板の上に出てきたらそりゃわかり合うもんだって思うじゃん!? 何だかんだ言っても「Not my Father's Son」を信じたかったんだよこっちは!! でもたぶんチャーリー自身にとってあの言葉は相互不理解を突きつけるための台詞じゃなくて、本気の本気で褒め言葉なんだろうな…脚本的にもこれがローラの心を揺さぶる会心の一行なんだろうな…というのが察せられてさらに重たい気持ちになった。

このあとは十中八九ローラがランウェイに現れてチャーリーの窮地を救うんだろうな~と想像がついたからこそ、行くな!! 関わるな!! マジでやめとけ!! そばで見ていても、こちらが言葉を尽くしてもこんな有様の男だぞ!! と思った。ローラに、今までたくさん傷ついてきたであろうローラにこれ以上傷つく可能性のある場所に行ってほしくない気持ちと、でもローラにまた会いたいという気持ちがあった。

 

 

ローラは最後、ランウェイに現れなくてもよかったと思っている。チャーリーを許さなくたってよかったし、「今度はローラがやる番よ」なんて歌わなくてもよかった。だけどローラはあなたを引き上げてあげると言う。ローラだって傷ついてつらくて苦しむことがあるのに、ランウェイ上でのローラはそんな影の気配を微塵も見せない。明るく華やかで強くて自信たっぷりで、しかも「let me raise you up」、私にあなたを引き上げさせてください、だ。こちらこそ引き上げてくれとお頼み申す立場なんだが…? 「立とうとしてもがくあなた」も良い。わかってくれるの…? わたしのこと…。今でも歌詞を思い出すだけでうるっとくる……。というか、ウウッとなる……。だから普段、何気なく聞けない。この曲は大事なときに、お守りみたいに聞いている。

「Just Be」もめちゃくちゃよかった。ローラが、自分のなりたいように振る舞うことでいろんな辛酸を舐めてきたであろうローラが、それでも明るく楽しく、人生には影なんてないみたいに歌い踊るのがよかった。あの歌は我々の背中を押し、励ましてくれる歌であると同時に、ローラが自分自身の人生これまでや生き方を肯定する歌であり、ローラ自身の背中をも押している歌だと思った。もうほんと、ラスト2曲は観劇時の記憶があんまりない…目に焼きつけておかなきゃとはいうものの、その目が役立たずなので舞台上の景色をなんにも覚えてない……。でもいいんだ(言い聞かせ)、初観劇は特に、自分がどんなコンディションだったか、その舞台を見てどう思ったかまで含めて体験だから…。

 

なりたい自分になりなさい、落ち込んだときは引き上げてあげる、とローラが言うから、就活時、私は何度も何度もローラの手を思い浮かべていた。この手をどうぞ、とこちらに差しのばされた手、その手を握る。空想上で手を掴んでもらったからって、パンプスの靴擦れもストッキングの蒸れもエントリーシートの締め切りも面接も自己分析も電話も知らない人間と会い続けるストレスも別になんにも良くなりはしない。けど、間違いなくあの頃、心を支えてくれたもののひとつだった。

 

ローラ。私はたぶんあなたみたいにはなれないと思う。私を不当に傷つけてきた奴らのことは今後何があっても許さないと固く決めているし、今でも思い出してはうっすら呪っている。高いヒールだって履けない。

でも今、あなたが手を差し伸べてくれたおかげで曲がりなりにも会社員として立っている。あなたと、あなたによく似た面差しのとてもハンサムな人にもう会えないなんてまだ信じられないし、本当だとしたらそれはすごくさみしいけど、会社員どうこうとかではなく、なりたい自分になりたいと思う。あなたのように。

 

 

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自分のなりたいように振る舞うことでいろんな辛酸を舐めてきたであろうローラが、それでも明るく楽しく、人生には影なんてないみたいに歌い踊るのがよかった」と上で書いた。これはあくまでキンキーブーツという作品の登場人物、ローラに限定した感動であることを念のため追記しておく。